大井の神
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貞観7(865)年12月21日 正六位上の大井の神に従五位下を授ける。(三代実録巻目)
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大正2年〜頃の大井神社
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昔、大井川の奥、谷畠の里「大沢」に鎮座し、何れの世にか |
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慶長9(1604)年(或は10年) | 慶長の大洪水のため、野田山の御手水谷(大井の段か)へ遷座。 | ||
元和元(1615)年 | 下島の地(御旅所の地)に遷座。 (洪水以前の鎮座地の近くへ帰られたのだとの説もある) |
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元禄2(1689)年9月13日 | 島田宿字宮小路1番(現在地)に遷座。 (境内に「元禄二巳巳九月吉祥日大井社廣前」の立石あり) (寛文年間遷座の説。境内に寛文三年の石灯籠あり、 これは春日神社・須賀神社などに奉献という見方もある) |
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元禄8(1695)年 |
大祭はじまる。 |
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元禄12(1699)年9月15日 | 湯立の神事が行われる。(御神釜の銘による) | ||
宝永5(1708)年5月22日 | 神官飯塚隼人は神祇管領から「赤色千早の朱印」「中臣祓の許可」を受ける。 | ||
宝永5(1708)年7月2日 | 正一位大井大明神の宗源宣旨を受ける。 飯塚隼人を大井隼人と改める。 |
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享和3(1803)年 | 神輿行列への島田代官供奉を、七丁目などから殿様役を仕立てて出すようになる。 | ||
嘉永7(1854)年後の7月15日 | 勅宣正一位を賜る。 (有栖川宮熾仁親王〔アリスガワノミヤタルヒトシンノウ〕に 御神額揮毫「愛育黎首」を願い出て「康寧」とお書き戴き現存する) 「大井神社と称え奉るべし」との宗源神宣あり。 |
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小松宮彰仁親王 「 顕光」神額 |
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慶応元(1865)年 | 本殿改築落成。 信州宮大工「立川昌敬」の脇障子彫刻などができる。 |
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明治5(1872)年 | 郷社に列す。(明治8年2月の説。社伝来旧式調書)明治25.5.12調書 | ||
* | 問屋場は代官所役人の出張所で、神輿行列の休憩場所になっていたが、 問屋場広場がなくなって、杉村家へ御立寄に変わったという。 |
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明治22(1889)年 | 新神輿をつくる。 | ||
明治26(1893)年 | 祠官御認可願に、主神 彌都波能売神ミズハノメノカミ 相殿 波迩夜須毘売神ハニヤスヒメノカミ 天照大御神アマテラスオオミカミ ・・・と書かれる。 |
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明治33(1900)年 | 神饌弊帛料供進神社に指定される。 | ||
明治41(1908)年 | 県社に昇格す。 | ||
大正12(1923)年 | 新拝殿竣工落成。旧拝殿は奉額殿となる。 | ||
昭和4(1929)年 | 境内南接続地を社地に編入。 | ||
昭和6(1931)年6月15日 | 末社4社新殿竣工祭。 | ||
昭和10(1935)年 | 社務所改築。 | ||
昭和24(1949)年11月20日 | 奉額殿を更に移転し大井恵比寿神社とする。 | ||
昭和34(1959)年 | 静霊神社鎮座祭。社務所増築。 | ||
昭和41(1966)年7月1日 | 神社本庁別表神社に加列した。 | ||
平成3(1991)年 | 拝殿増築竣工。 | ||
(参考文献:志太地区神社誌、大井神社御由緒、大井神社の歴史、駿河記、島田市史) |
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